■生誕■ 土居貴耶さん「あ…」書物に目を通していた陽子が、ふと面をあげた。 しばらく宙を見つめ、何事かに思いを馳せている。 「主上、いかがなさいました」 声をかけたのは傍に控えていた景麒。 「ん、いや…」 「もう随分と長いこと集中しておられた。少し息抜きなさるがよろしかろう」 「あら、それなら温かいお茶でもお持ちしますわ」 書棚に書物を戻しながらの浩瀚の言葉に、窓際で鳥に餌をやっていた祥瓊が応え、にっこりと笑む。 「お茶うけは何が良いかしらね」 陽子は何か言おうと口を開きかけ、だが何も言わずに、ふぅ。と息をついた。 「そうだな、少し休もう」 「お天気も良いことだし、中庭に卓を用意させたら…ね、いいでしょう?」 「任せる。手が空いているようなら鈴達も呼んであげて」 「あら素敵ね。みんな喜ぶわ」 結局何人分要るのかしら。せっかくだし茶器はあの一揃いにしましょう。などとつぶやきながら、祥瓊が扉の向こうに消える。 陽子は浩瀚に視線をやり、くすりと笑った。 「どうやら随分と私の一言を待っていたようだな」 「先日、香りの良い茶葉を買い求めたと言っておりましたから。早く主上に召し上がっていただきたかったのでしょう」 「そうか」 これだけ片付けて後から参ります。と浩瀚も退室し、景麒と二人きりになった。 陽子は読み書きするのに邪魔にならぬよう一つにまとめていた髪に手をやった。碧玉をあしらった髪留めをカチリと外す。紅がはらはらと波打った。 両手でつつんだ玉の感触を確かめるように指をすべらせながら、ゆったりと言葉を紡いでいく。 「唐突に思い出したことだけど…今日はね、私の誕生日なんだ」 「主上の…何、ですか」 景麒が尋ねる。 「誕生日。こちらでの定義はよくわからないのだけれど、蓬莱ではね、母親のおなかから産まれた日がその人の誕生日なんだ。私の…あぁ、だから正確には『中嶋陽子』だな。『中嶋陽子』がこの世に存在し始めた日。考えてみたらそれが実は今日でね」 「そうでしたか」 「蓬莱には年に1度の誕生日を皆で祝う習慣があるよ。家族や親しい友人達が贈り物をしてくれてね、言葉だったり花だったり。まぁ、いろいろなんだけど。私の家では、毎年必ず母にケーキ…あぁ、景麒と発音は似ているね。焼き菓子の一種だよ。それを作ってもらって、皆で食卓を囲んで食べていた」 陽子は静かに語り続ける。 「決まり文句もある。『誕生日おめでとう』と言うんだ。由来とかそういうのは詳しく知らない。でも、この言葉には "これからも健やかであれ。幸せであれ"といった意味が込められていると思う。短いけれど、言われると嬉しい言葉だった」 陽子は一旦、言葉を区切った。 窓の向こうを見やり、まぶしそうに目を細める。 「もし、触で流されずにこちらで生まれて……本当の両親に卵果をもがれていたとしたら、私の誕生日は今日ではなかったかもしれないな」 書簡を束ねようとした景麒の手がつ、と止まる。 「………私がちゃんとこちらで生まれていたなら、『中嶋陽子』は『中嶋陽子』として、私とは無関係に存在しただろうか。こちらの世界と交わることなく、私の、いや…『中嶋陽子』の家族は蓬莱で幸せであっただろうか」 ひとことひとこと噛みしめるように言葉を発し、ふふ。と小さく笑って陽子が振り返る。 「そんな顔するな景麒。『もしも』など今さら言ったところでどうともならない。それは分かってるから」 掌中の玉は卓へ置かれ、身を屈めた景麒の頬に白い指先が触れた。 「この先、胎果誕生の仕組みを知る日が来るなどとは思っていないが、私がそれだということは変わらない。人間ひとり分の命を奪った結果として存在しているかもしれない可能性は心に留め置こう。私の出生そのものが罪だというのなら、甘んじて罰も受けよう。それくらいの覚悟はできてるよ」 「何をおっしゃいますか、そのような…」 「心痛めるほど己の明日を心配しているわけじゃない」 「ですが」 「考えてもみろ、隣国など胎果の王に胎果の麒麟という取り合わせだぞ。少なくともあと500年、私は慶の民のために立っていられる計算だ。今でも働き詰めのお前には悪いが、当分の間は付き合わせるつもりだからな」 陽子は笑った。 「どういう過程を経たのであれ、私は産まれてきて良かったと思ってる。自分が今こうしてここに…おまえの傍にいられることを、幸せだと思っているよ。」 「主上…」 「少ししゃべりすぎたな。あぁ、また祥瓊に怒られてしまう」 気恥ずかしさも手伝ってか、さっさと立ち上がり歩き出そうとした陽子。 「主上」 その華奢な背へ、景麒はそっと声をかけた。 「お誕生日、おめでとうございます」 「………景麒」 思いがけない言葉に、陽子の足が止まる。 「主上が蓬莱の地で今日という日にお産まれになられたこと。そしてお健やかにご成長なさったこと。私には、これほど喜ばしいことは他にございませんので、やはり、本日はおめでとうございます、と申し上げておきます」 窓からさらりと入りこんだ風に乗り、金の鬣を揺らして届いたのは囁き。 (……ありがとう) 足早に扉の向こうに身をすべらせていってしまった女王の顔は、きっとほんのりと色づいている。 「お誕生日…おめでとうございます。主上」 誰もいなくなった部屋で、もう一度繰り返す。 その口元に、穏やかな微笑みが浮かんだ。 |
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